#190 記録する/される
タイムトラッキングをすることによって何を知りたいんだろうか。アイムトラッキングと言う行為を分解してみると、まぁ究極的には洗える時間の洗えることが、誤変換がひどいな、究極的にはあらゆる時間の時間のあらゆる行動が自動的に本人の意識することないところで記録されていくということが理想だけれども現場はそうではなくて意図的に意識的にそれを記録すると言う行為を行っているわけだ。これには大きな違いがあると考えている。
何故かと言うとそうだな、例えば、いや例えばじゃないんだけど、完全に自動的にかつもし自分の内面までも、と言うのは例えば今何かのウェブサイトを見ていたとしてそれが実はサボっていて何か娯楽的なものを見ているのか、または何かの仕事のためのものを調べているのか調べているのか、という事は外形的に非常に話しづらい非常に判断しづらいものであり、まぁ仮にそこについて、まぁ仮にそこについてきちんと判断がされていると言う前提においての話としてみよう。
一方ででは現状実現されているある程度手動で記録していると言う事についてたけれどもそこにはそれを自ら知っている自分と言うものと自ら記録をとっている自分がいてその記録の開始と終了を意識してそれを行うと言う自分がいて、それとは別に実際の行為自体を記録される対象の行為自体を行うと言う自分がいて、その間には間違いなく相互作用がある。記録する自分と言うものがいない時といる時と言う所では、行為する自分の行為にあたっての態度みたいなものが間違いなく変わっている。
時間切れ。iPhoneの音声入力をした。