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#259 実行する能力とタスクの積み残し
今回のしばらく文章を書いてみようという試みを始めた中で言うと一番日が空いてしまったように思う。だいたい毎日書くようにはしていてただそれが朝書くのか昼書くのか夜書くのかっていうのは時間を確保しやすいかどうかという問題以外にもスラスラと書けるかどうか内容がすぐに思いつくかどうかみたいなことにも影響しているような感じがしていてそれについては別途検討である。
それはそれとしてまあ100%毎日は書かなくていいけれども100%毎日かけないということにあまり気にしすぎるとしんどくなってしまうのでそれをそこまでは気にしないようなことにしているけれどもとはいえおおむねかけるようには心がけていて具体的には週に1日ぐらいはかけない日があったとしても基本的には継続しようという感じである。
にもかかわらず今ふと見ると今回は前にこれを書いたのが10日なのでだいたい3日間書き忘れていたことになる。これは何かというと他に色々やることがあってそちらの優先順位を高くせざるをどうしてもえなかったということだ。もちろんそうなんだけれどもとはいえ基本的には朝これをやっておけば大丈夫だしそうすれば途切れることはない。
自分で言っていて思ったがそうは言ってもその朝やるかどうかということが優先順位そのものであるし。やはり他のことを優先したんだろうと思う。
忙しすぎて何かができないというようなことを思ってしまうことはある。しかし何かの本で読んだのかは忘れてしまったけれどもそれはあくまでも優先順位の問題である。
精神的なもしくは肉体的な調子がすごく悪くてぐったりと寝ていることしかできないとかほとんど何もできないということはある。そういう時は優先順位が高いか低いかに関わらず何もできない状態であるし気にしすぎても何もいいことはない。けれどもそういう状態ではない場合はまあ1日にもしくは1週間のうちに多少何かはしているわけであるならばそれはあくまでも優先順位の問題である。
これは何か偉そうに言っているようだが自分がまさに優先順位の付け方に失敗しているというかあまりうまくいってないなと思うことは結構あって自分の場合は多くの場合タスクを積み残してしまいそしてやりたいこととかやった方がいいこととかまとにかくタスクのリストが多くなりすぎる傾向にあるので当然その積み残してしまったタスクに対して何かしらの罪悪感とか自分の力の至らなさみたいなものを感じるわけだ。
改めて言うと当たり前のようなんだけれども長年自分が気づいていなくて最近やっと気づけたというかなんかもしかしたらそうなんじゃないかと思い始めたことがある。もちろんそれは正解ではないかもしれないし今そう思ってるだけで来年には違った考えを持ってるかもしれないしあくまで今時点ではなんかそういうことなんじゃないかと思っているというだけの話なのだが。
どういうことかと言うと以前自分はタスクを積み残してしまうのは自分のタスクを実行する能力の不足だと思っていた。だから自分がもっと1つ1つを早くこなせるようになったりとかより無駄な時間を省けて効率よくというか密度高く自分の時間を使えるようになればクリアできると思っていた。
そして次に計画の問題。タスクを積み残してしまうのは実行可能な時間に対してタスクが多すぎるからだ。どれだけ能力がアップしてスピードが速くなりどれだけ効率よく時間を使えるようになったとしてもそこには絶対的に物理的な限界がある。だからこのやり方だとタスクは積み残してしまうようにできている。これはあんまり良くない。
もしくは積み残してしまうことをいちいち気にしないようなメンタルの状態に持っていければいい。なぜならタスクは積み残ってしまって当たり前の状態だからそういう仕組みだから。そういう仕組みなのであって自分の能力が高いか低いかとか時間うまく使えていなくて無駄な時間がまだあるんじゃないかみたいなこととは別の問題であるということだ。
そしてあとは優先順位。さっきの話とやや矛盾してしまう印象のことを書いてしまうかもしれないが、何かきっちりシステムとして優先順位が自動的に算出されるような、システムを組もうとしたことがある。具体的には一番小さい単位がタスク。タスクが所属するのがプロジェクト。例えば何かの案件のプロジェクトであったり、もしくは新しく何かを勉強したいということであったり、運動するというようなプライベートなものであったり。
そしてその状態でもまだ多数のそれらのプロジェクトの優先順位ってものはバラバラであってまた自動的につけることはできないからより上位の概念として例えば仕事と健康どっちが大事なのって言うと当然健康であって、もちろん仕事も大事なんだけれどもまあ健康の方がやっぱり大事だよねみたいな感じがあるのでより大きく抽象的な概念としてまあ例えば健康みたいなものとか仕事みたいなものとかそういうものを設定すると。
そうするとやっと何かの案件のプロジェクトと運動するっていうことのどっちが大事なのかっていうものが自動的に判断できるのかなと思っていて、しかもそうは言ってもどちらかをゼロにするっていうのはそれはそれで間違っているから両方必要なわけでだからある程度どちらも枠を取りつつもちろんその中では健康の方が優先順位が上なんだけどもそれぞれに枠は取りつつその中で個別のプロジェクトっていうのは存在して個別のプロジェクトに優先順位がある。そうすると健康のためのプロジェクトも何か実行ができるし仕事のためのプロジェクトも何か実行ができると。
まあなんかそんな風に思っていた時代もありました。
理屈では正しいんだけどもまあ実際運用するってなるとそうはいかない全然うまくいかなかった。これは普段物作る時もそうだよねと思う。どんなものを作ったとしてもこれって本当に運用できるんだっけみたいな、ところがしては何よりも大事。運用できないと意味ないし。