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#260 音を間違ったまま楽器の練習をする
今回で260番の記事になる。1から100それと101から200まではそれぞれ別の時期に100日間連続で記事を書いたのでそれぞれの間は空いている。同じように201から書き始めたのはまたしばらく後なのでそこにも繋がりはない。
今回書き始めて60記事それはつまり今回結構まあちょこちょこは間が空いてしまっていたり1日だけね空いてしまったりしていたので連続で60日では厳密にはないんだけれどもまあだいたい2ヶ月間ということになる。
何かを練習する時はただ闇雲に何かの行為を繰り返し行っても、もちろんやらないよりはずっとマシなんだけれども一定以上は上達しない。逆に言えば間違った練習でも一定までは到達するということになるかもしれない。
でもまあその間違ってることを許容するのはちょっと一旦置いといて、まあなんだろうねでもそうだなこれ結構大事なのかもしれない。例えば最近の若者はなんちゃらかんちゃらみたいなことを言う話ってのはよくあるけれども。よく言われるのは努力自体が嫌いなわけではないけれども無駄な努力というものをすごく嫌がると。
まあそうだよね、無駄かどうかっていうのはそう簡単にはわからないという問題はあるけれども一旦話を戻すためにもちろん理想的には正しい努力をできるといいよねという前提を置いてみる。
例えば楽器の練習をする時に音を間違ったまま100回引いても正しい演奏にはたどり着けない。そういうことかな。
この例えはある程度マッチしていると思うけれどもいくつかの問題はあるように思う。例えば正しい演奏とは何か。それはもちろん楽譜の通りに弾けるということが一つの正解ではあるんだけど、それを正解だと言ってしまっていいのかはよくわからない。
次に、例えば音を1つ間違ったまま弾いていたとしても、それ以外は合っていれば、概ねいい練習になっている。あとは音をひとつ直すだけだ。
ああでもそうか、ここで図らずも気づいたのは、やはりフィードバックの重要さということになるのか。自分で気づくか、もしくは誰かに言ってもらう形で、そこの音間違ってるよ、と知る必要があるわけだね。