#264 できることはみんなほとんどない
人間ができること、できるかもしれないこと、っていうのはたくさんある。物理的な限界はあるだろうしそれこそ本当に無限ということにはならないだろうがおよそ1人の人間から考えたら無限と言っていいほどだろう。
けれどももちろんそれは1人の人間が全てできるわけではない。自分という人間を考えても正直言って何もできない人間ではない。それは傲慢なことを言いたいわけではないが、個人として生きていて社会の中にいて人と関わっていて、それがすごく役に立つかどうかわからないけれどもまあ少しは何かできることはあるという自信ぐらいはある。ゼロではなくて1か2ぐらいはある。
それはすごくできることもあるかもしれないし人並みにしかできないこともしくは人並み以下にしかできないこともあるかもしれない。
そうは言っても初めに行ったような「できる(かもしれない)こと」全体の数に比べると僕1人ができることというのはものすごく少ない。それは僕よりもずっとたくさんの能力を持っている人だとしてもその母数に比べたらほぼ違いがわからないほどにごくわずかであると言えるだろう。
人間全体の能力というものを全部合算したとしてもまあできないことはいろいろあるし全知全能の神のような存在というものがもしいたとしたらそこには到底及ぶものではない。それでも全体の数というものすごく多いわけである。地球上全体とは言わないまでもある社会集団、に限定したとしてもやっぱりそれは個人のできることよりもずっと多い。
今まで自分は何ができるのかあなたは何ができるのかもしくは自分はできるようになりたいのかというようなことを考えて、また自分にはまだこれができないというようなものを埋めていくような考え方をやっぱりしてきたんだけれども、どれだけ頑張ったとしても自分にできることは少ししかないと。
少ししかないところではなくて人間という能力の総体から考えるとほぼないに等しいものであるし、それは自分よりずっと色々なことに秀でた人だとしても同じでほぼほぼないに等しいのだと。
できないことを考えるのではなくてできることを考えようというのはまあ使い古されたセリフとしてあるわけだけれども、むしろできることなんて何にもないんじゃないかなと。いやでも、全員がゼロだとゼロのままだからそれは困る。そうすると、ゼロでなければ良い、1あれば十分なのではないかと、なんとなくふとそう思ったのだ。
何かを成そうとする時には、必ず複数の事柄が噛み合う。純粋に一つのことだけできれば完結するプロジェクトはごく稀だ。そういうものもあるだろし、それでしかなしえない、そこにのみ宿るような美しさもあるだろうけど、残念だけどどんどん作るものが複雑化していると感じるし、そうなるのは難しい。基本的に複雑化して行っている。
