#363 飲食店選びに迷ったら新しい方
毎回特に事前にテーマを決めることなく書き始めている。事前に入り口を決めて、そして文章の流れを考えたり、一番言いたいことは何かということを考えることもなくはないが、最近は意図してそうではない書き方を試みている。
そうしていると自分の日常への解像度を把握できるように思うことがある。ふとした小さなことから面白さや違和感に気づけて考えを深められるのか。もしくは大きな出来事にしか気づけず「すごかった」くらいの感想しか言えないのか。
後者になってしまっている時もあるし、前者になれている時もある。少し話がランダムになるが、私は何か新しい体験、と言っても何かすごいことではなくてよくて、例えば新しい飲食店に行ったり、新しい展示を見に行ったり、そういった時に、良いとか悪いとかを事前にあまり気にしない。
とは言っても、あくまでもあまり、であって、何も気しないということではもちろんない。衛生観念が低いとか、生理的に苦手なものはいくつかあって、そういうものは避ける。けれども、そういうものではなくて、そういう基準はクリアしているとして、その上でまあなんかこれは美味しいのか?そうでもないのか?予想がつかないような時に、行ってみることにしている。
この時、自分に基準が一つあって、「迷ったら新しい方」という言葉だ。どちらの飲食店に行くかというのはかなりリスクが低い選択なので、失敗したら失敗したであそこの店はあかんかったという知見が得られるし、新しく美味しい店が発見できたらベストだし。
すでに美味しいとわかっているお店にもう一度行くと安心なのだが、新しい情報が得られない。
展示なんかもそう。つまんなかったらそれはそれで、なぜつまらなかったのか、なぜダメだったのかを考えることができる。知ることができる。世の中はこうすればうまく行く、私はこうしてうまくいきました、という情報に溢れている。しかしそれに比べて、失敗の情報は少ない。
自分で試して失敗してみることは大事だが、他人が自分の代わりに失敗してくれていて、その情報を得られるのも大変ありがたいことだ。
ただ、こういう選択をとっていることに、違和感や疑問もある。何か本質的なところを見失っているのではないか?と。