#367 日記を書く/意味があるかわからないこと
前回は日記を書かないということについて考えてみたが、今日は日記を書いてみようと思う。何を言っているのかよくわからないと思うが大丈夫、自分でも何を言っているのかはよくわからない。
というのも、ある知人が書いている日記で、ずっと前に書いたものだが、「その時にあったこと」などが書かれていて、それが昨日ちょうど会話で有用に機能した。そしてその記事の中にはさらにそれ以前の日記が有用に機能していた。
とはいえ別に有用であることとか機能することが全てであるというつもりはないし、むしろそういう功利主義的な逆算からは離れるのがここの目的ではあるので、必ずしもそれを目指しているわけではない。
それにその日記も書かれたその時には別に有用であることを目指されて書かれたわけではない。それゆえに、それゆえに後から有効であったというだけである。単に後からたまたま有効であったというだけだ。有効であるからそれが行われていたわけではない。
しかし一方で真に無意味であると思いつつ何かをするというのはなかなか容易なことではない。そして真に無意味であると思っているということと、まだ意味があるかどうかわからないと思っているということは違う。
私は別に真に無意味であると思っていることをやりたいわけではなかったのだ。そのことを今までに意識したことはなかったが、今こう書いていて気づいた。意味があるかどうかわからないことをしたかったけれども、意味がないことがしたいわけではない。
その違いは明白だが、しかしそれはどうなんだろう。どうなんだろうというのは、それは果たして自分が求めている結果に対して適切な選択なんだろうか。適切な心持ちなのだろうか。
そんなことを書いているうちに日記的な「昨日何があったか」に言及せずに時間が終わってしまった。