#834 楽観と悲観
なんかうまく行きそうだなという感覚があるとして、一方で、いやいや、それに対してそんなに物事はうまくいかないよという感覚があるとして、そもそも自分は過去に準備というものをおろそかにして失敗したという経験の記憶が蘇ってくることであったりとか。しかし、そういう自分の甘いところを認識して、それを警戒する危機感みたいな方を信じて、無事トラブルなく乗り越えることができたことであったりとか。
しかし、結局トラブルがなかったから、その慎重さみたいなものであるとか、その取り組んだことであるとか、そういったものが意味があったのかなかったのかということ。結局、それがきちんとお仕事であれば、お金が取れればいいんだけれども、念のための安全対策というか、もちろん安全対策みたいな、人間が怪我をしたり何か起きてしまうようなことを避けるというのは、もちろん最も大事だし。
しかし、もう少しその危険性が低いものに対して、まあなんか人のクリティカルではないものに対して、どのくらいコストをかけるのかというのは、特に前例がないものに対してはなかなか判断が難しいし、もちろん例えば準備する側としては、準備する側の視点としては、できるだけのことはしたい、万全なことをしたいと思うけれども。しかし、それに対してお金を払う側としては、どこかでバランスを取らなくてはいけない。
もちろん無限の資金があったりとか、非常に安くできるけれども、常にやはり100%万全なことを、もちろんできればいいんだけれども、予算や時間や人間というものが有限だったりするので、なかなかそこまではできなくて、どこかで判断をしなくてはいけないみたいなことは当然ある。これはもちろん安全を軽視するようなことを言っているわけではなくて、先にも書いた通り、安全を守るのは非常に重要、最も重要なことだと思うけれども。
まあ例えば、ある商みたいなものがあったとして、商っていうのはまあわからないけれども、今これは誤変換もひどいけれども、何かのシステムが動いているとして。それはもちろん、これもシステムと言うと、今、巨大なWeb上のシステムみたいなものであるとか、基幹システムみたいなものは、冗長化みたいなものを行うわけだけれども、やっぱりバックアップのシステムを用意して、バックアップのバックアップを用意して、バックアップのバックアップのバックアップを用意して、これは非常に単純化して言ってるけれども、どこまでやるんだっていう判断は当然あるし、究極的に言うと、全てが破壊されるような破滅的なトラブルの場合には、諦めるしかないポイントというものは、おそらくあるわけだし。
そして準備をする場合には、十分に検証するんだけども、その検証というものも、限られた時間とお金と人間によってやる。どこまで行ったって完璧なものはない。ちょっと話が横道にそれ過ぎてきたけれども、もっと感覚的な話をしたかったんだと思っていて。
これはうまくいくという感覚、これは何とかなるという感覚、そしてそれに対して不安に思う感覚。なんとかなると思って失敗した過去の経験を思い出す感覚。しかし、そのなんとかなると思ったことに対して警戒して、何かをした、対応したことによって、トラブルなく乗り切れたという自分のその不安感みたいなものを信じる感覚的に、考えすぎているのではないかと思う感覚。そういった複合的な、ある意味で無限に終わりがないところで、結局のところ判断みたいなものをしなきゃいけなくて、何の話をしたかったんだったかな。